興元寺上帯
   
H23.2.27開催の「親鸞さまを聞く勉強会」の要約


「他力本願とは?」


  一般的な言葉の使い回しで他力本願というと、「私の願いを他人の力に任せて実現する」ことをいう場合が多いかと思います。しかし、浄土真宗でいう本来の他力本願の意味は異なります。

 阿弥陀仏が修行中の法蔵菩薩であったとき、四十八の誓願を起こされ、その願いを成し遂げるために久しい間、修行されました。その誓願が、仏説無量寿経(阿弥陀仏の本願が説かれている浄土真宗の根本所依の経典)に書かれています。

 法然上人、親鸞聖人までの宗教家は第十九願が、阿弥陀仏の願いの中で最も大切な願いとして扱ってこられました。


第十九願:「私が仏陀と成ったとしても、
      十方のあらゆる人々が、
      道を求める心を起こし、
      多くの功徳を修め、
      真実の心をもって願いを起こし、
      私の国へ生まれようと思っているのに、
      もしもその人の寿命が尽きる時、
      偉大な菩薩達に取り囲まれて
      その人の前に現われないようなら誓って覚りを開かない。」


  しかし、法然上人、親鸞聖人は、多くの功徳を修められない悪人こそ、阿弥陀仏が救いたいと願っておられる対象だとお釈迦様の真意を理解され、第十八願こそが最も重要な願いだとされました。


第十八願:「私が仏陀と成ったとしても、
      十方のあらゆる人々が
      真実の心をもって深い信心を起こして、
      私の国に生まれようと思って、
      十回私の名前を念じても、
      生まれないようなら、
      誓って覚りを開かない。
      但し両親を苦しめたり、仏陀の教えを謗る者は除く。」

 
  阿弥陀仏の願いは、「すべての人を阿弥陀仏の覚りの世界に生まれさせたい」という願いです。

 言い換えれば、すべての者に真実の幸福を与えたいと願っておられるのです。その時、阿弥陀仏の願いなのですから、阿弥陀仏を“自”、対象者である私達を“他”とみます。他に利益を与えるという意味で、利他力といいます。

 つまり、浄土真宗の本来の意味では、阿弥陀仏の願いによって、私が阿弥陀仏の力で救われるのを他力本願といいます。

 「私が願い、阿弥陀仏が働いて私が救われる」という、私主体ではなく、阿弥陀仏が主体となって、阿弥陀仏に動かされて、私が阿弥陀仏の願いの通りに救われるというのが、阿弥陀仏の目指しているものです。私達が、南無阿弥陀仏と称えているのは、その深い慈悲への感謝・讃嘆(ほめ讃える)が自然と溢れ出るからです。礼拝

 

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