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興元寺の移転、及び改修工事に 至るまでの経緯について

 八瀬に移転する前の旧興元寺(下京区西若松町)は、1880年(明治13年)の時に、慈眼寺と興元寺の合併によって建てられました。それは、興元寺の村西家が第10代で途絶えたため、慈眼寺の北條家第11代が、第21代本願寺門主、明如上人の命を受けたためです。当時、慈眼寺よりも興元寺の方が御門徒様の数が多かったため、興元寺の名を残しました。

 興元寺建設当時、西本願寺の職員の住宅として建てられたため、町屋に本堂が併設する形で建てられており、この本堂も仮本堂として掻き集められた木材を利用して簡易に建てられたものでした。
 
 北條家は歴代、西本願寺の重役として働いてきたのですが、13代目から職員として西本願寺に従事せず、興元寺の僧侶として勤行をして参りました。

 移転の話は、昭和20年代(13代目)から持ち上がるようになり、現在に至るまで計5回試みてきましたが、いずれも実行には移されませんでした。それは、「西本願寺の近くがよい」との御門徒様の根強い声があったことと、素晴らしい候補地が見つからなかったことが原因です。年月が突き進み、お寺の地盤が傾いて、家のあちこちから隙間風が入るようになっていたのですが、どうすることもできないままでした。

 2006年、15代目の結婚が決まり、お寺で新生活を開始することを考えた時、「現在のままでは新しい生活を始められない」とお寺の改修を検討し始めました。しかし、改修費用の融資を受けることが難しく、また現在まで御門徒様に寄付をお願いしたことがなく集めるのは難しいと総代会で判断したため、改修も断念せざるをえませんでした。そのため、15代目が個人で住宅を購入することとなり(大津市)、住宅とお寺を通う生活が始まりました。

 2008年、いよいよお寺の老朽化が進み、あちこちから雨漏りし始め、お寺としての存続自体が難しくなってきました。その時に、偶然、隣接しているビルオーナー様がお寺の土地を買いたいと申し出て下さりました。総代会で話し合い、また全御門徒様にアンケートをとった結果、売却益で新地に移転することに賛成して下さった方が80%を超えたため、売却が決まりました。また、その時に、御門徒様からの要望として、墓地や納骨堂の併設を希望する声が多数寄せられました。その結果、候補地を探し求めて、現在の八瀬近衛町の地に辿り着きました。

 この地は、山のふもとで傾斜のある約600坪程の土地でした。費用の面からいろいろ悩みましたが、まずは土地の購入と本堂の建設を行い、残りの土地は数年後、資金的に余裕ができた時に改修していくことにしました。すでに、2006年に住宅は購入済みであったため、八瀬は住職が住まないお寺という形で建設して頂き、通いの生活で勤行をさせて頂いておりました。

 2009年、知人を通して画家の木村英輝先生を御紹介いただき、その御縁で建築家の山本良介先生を御紹介頂きました。知恵・知識の深い先生方から興元寺を今後どうしていくべきかの具体的な御指導、御支援を受け、10年程の長期計画で段階的に改修工事を行っていくことになりました。その工事を遂行していくにあたり、やはり住職一家がお寺に住み、御守りしていくことが必要不可欠だということになり、個人の住宅は手放す決心をし、庫裡に住むための工事を始めました。今後、墓地は京都の行政指導上難しいのですが、御門徒様のご要望である納骨堂を併設すること、さらにはその納骨堂を宗派問わず、広く皆様に御利用頂けるものとして御提供できるようにと考えています。興元寺が今後も末永く存続し、御門徒様との御縁を御守りできるようにと、考えに考えを重ねて改修に至りました。

 興元寺が念願の移転を断行し、改修に至るまでの経緯をここに記します。