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               2012.6.19

洋服法衣の導入
 興元寺は代々、西本願寺の法要儀式の職員として勤めて参りました。
 昭和47年(1972年)、13代住職が急死したため、14代住職(前住職)が西本願寺の職員を退職し、興元寺住職として就任しました。 僧侶といえば、宗派問わず、白衣、布袍輪袈裟が当たり前だった時代、14代住職は、背広に輪袈裟姿という洋服法衣を檀家参りに取り入れました。 洋服法衣は、西本願寺が時代に合ったものをこれからは僧侶も取り入れていきましょうということで設定したものでしたが、伝統を重んじるお寺が多かったため、それを取り入れたお寺は皆無に等しかったです。 今の時代でも200軒に1軒程しか洋服法衣を取り入れているお寺は無いのですが、当時はより先駆的で見慣れない姿でした。それを受け入れ難く感じる檀家様もいらっしゃり100軒ほど去られましたが、ご理解下さった檀家様が支えて下さりました。

         洋服法衣姿




4代住職の姿
 14代住職は、西本願寺という伝統的な風習の中で勤めて参りましたが、反面、弊害も感じていました。そのため、「伝統を守ることも大切だが、時代に合わせることも大切」と、なかなか周りには理解されない中で自分の信念を貫き、孤軍奮闘する姿を見ながら私は育ちました。

 14代住職、つまり私の父親は、島根県江津市にある浄土真宗のお寺の出身ですが、後継ぎではなかったため、16歳で満州開拓青少年義勇軍に入隊しました。そこで、その後の人生観を左右する様々な経験をして参りました。敗戦、満州からの撤退、ゲリラ戦、シベリア抑留、強制労働等を経て、日本に帰国した後、ご縁があり、僧侶としての道を歩んだのでした。価値観が激変する時代を生き抜いてきた父親だからこそ、培われた感覚があったのでしょう。また、改めて考えますと、父親自身が他力本願や悪人正機の御教えに救われた一人だったのではと思います。
 
 そんな父親が、私に「後継ぎになるためにもお寺の世界から出て、世の中のことを学べ。それが修行になる。」と常日頃から言っておりました。

     
      

 シベリア抑留遺骨収集慰霊団に同行読経の様子  洋服に布袍輪袈裟姿
 シベリア抑留遺骨収集慰霊団に同行
 読経の様子(1992.7.2)
 洋服に布袍輪袈裟姿


















ニュースを追いながら見えてきたもの
 私は後継ぎという自覚がありましたが、父親がまだ健康でしたので、父の言葉に従い、僧侶としての資格取得後、念願だったテレビの放送技術社に就職し、ニュースディレクターを勤めて参りました。毎日毎日繰り返される、事件、事故、災害、戦争を追いかけて流していました。自分が好きなことを仕事にできたので、激務であっても全く苦に感じず、目まぐるしく、楽しく過ごしていました。

 しかし、ある時、ふと気づいたのです。

 「ニュース番組では、最新のニュースを出すことが要求されているが、情報はいつまでも新鮮ではない。古くなっていく。しかも、ニュースは真実そうに見える事実の一辺しか伝えていない。ニュースは昨日のニュースでも古いのに、2500年も続いている仏教は不変であり、永遠であり、絶対真実である」と。

 また、ニュースは他の誰かでも伝えることができるが、仏陀の教えを伝えることこそが私の役目なのではないかと思うようになり、住職を継ぐ決心をしました。

 私の決心を父親や職場に伝え、調整に入っていた時期に、父親の持病である気管支喘息がひどくなり、若干25歳で本格的に住職としての道を歩み始めました。



興元寺15代住職として自分の姿を模索する
 周りに若い住職はいなかったのですが、父親が「若い時に住職になれば、若造が・・・とか、人生の深さがないとか、有難味にかけるとか言われて、苦労する反面、失敗も許してもらえるから、好きなようにすればいい」と応援してくれました。私は父の言葉に力をもらいながら、私らしい住職の姿を模索し始めました。

 手話法話や要約筆記での法話、ターミナルケア(ビハーラ)等、社会奉仕活動を通して、素晴らしい人達と出逢い、育てて頂きながら、経験を積んで参りました。そこから生まれた繋がりで、マザーカウンセリング協会に出逢い、惹かれるものを感じて、お手伝いを始めました。勉強を進めていけばいくほど、マザーカウンセリングの理念は、浄土真宗の考え方に通じるものがあると感じています。まだまだ未熟者ではありますが、皆様の悩みや苦しみに寄り添える住職になりたいという理想を持って日々学ばせて頂いています。



日本語訳の仏説阿弥陀経での読経
 住職として檀家参りに行くようになり、私も前住職に倣い、背広に輪袈裟という洋服法衣を私のスタイルとしました。

 ある時、仏説阿弥陀経を唱え終えて一服していたら、檀家様が「いつも唱えている仏説阿弥陀経は何が書いてあるのですか?」と尋ねられました。恥ずかしい話ですが、私自身もよく分からなかったので、昭和36年(1961年)に西本願寺が出版した日本語の聖典を基に現代文に改め、次のお参りの時に、日本語訳の仏説阿弥陀経を読ませて頂きました。すると、「よく分かって有難い」とおっしゃって下さり、私自身、読経のあり方を考えるよい機会になりました。しかし、読経の仕方に対する檀家様の要望も様々で、一概に日本語訳がよいというわけではありません。最近は、西本願寺からたくさんの日本語訳が出版されていますが、難解な仏教用語でまだまだ読みにくいです。そして、まだまだ日本語訳での読経はされていません。

 私としては、その檀家様が求めてられることに寄り添いたいと思い、1991年から日本語訳の経典読誦と、従来通りの経典読誦を、檀家様の意向に合わせて行っています。



変わり続ける興元寺
 私も父と同じく、伝統を守ることも大切だが、時代に合わせることも大切だと思っています。不変的絶対真理法則である仏教を皆様にお伝えするためには、時代に合わせて変化していくことも必要だと感じるからです。

 最近は法名、戒名ではなく、本名でのお葬式が主流になりました。この世は諸行無常の世界です。大切なことは何か、守るべきものは何かを考えた時、自ずと浮かんでくるのは親鸞聖人のお姿です。親鸞聖人は、一生お寺というものを持たず、安住の地を持たず、常に外に出て法を説き、悩み苦しんでいる衆生に寄り添いながら、信に生きたお方でした。

 阿弥陀仏の願い(救い)を全ての人に伝えていきたい。悩み苦しんでいる人に安らぎを与えたい。それが興元寺の願いなのです。合掌



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