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![]() 〜北條家の歴史〜 ![]() はじまりは伊勢盛時(北條早雲・早雲庵宗瑞)通称・伊勢新九郎、いわゆる後北條氏、小田原北條氏です。居城は小田原城でした。 豊臣秀吉との戦いで落城し、逃げ延びた北條氏が、1600年の関が原の戦いの時に、徳川方について有力武将を倒し、その功績を認められて、河内藩1万5千石を賜りました。場所は、現在の大阪府大東市北条から野崎一帯です。城はなく、野崎観音で有名な、福聚山慈眼寺(曹洞宗)に本陣があったそうです。 主に生駒山中腹の本陣から大阪城の豊臣家を監視していたと云われています。 1757年(寶暦7年)に、西本願寺から重役職として招聘され、河内藩北條家が建立したのが慈眼寺です。本家は明治以後男爵でした。 ![]() 〜慈眼山興元寺の歴史〜
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